怒る、怒こられる

私が小学2年生のとき、

ふと「他人に怒られたことがない」ことに気がついた。

 

親が厳しかったため、

いつも人のゆうことはきいて背筋をのばし、静かにしていた。

授業も真面目にきいていた。

 

きっと怒られたことないということは、

いい子であるということなんだろうが、

当時の私は「クラスのやんちゃな子」がなんだか羨ましく見えた。

 

先生はいつもあの子を怒るが、

なんとなく怒られる子の方が先生に好かれている気がした。

 

先生には基本的には褒められていたし、

まとめ役としてクラスの学級委員的な役を任されていたが、

自分が「つまらない奴」と思われてるんじゃないかと思った。

便利だと思われてるだけで、

生徒である自分への愛情はないのではないか。

 

そこで私は授業中に、

「何か怒られることをしてみよう…!!」と

一世一代の決意をし、

手元にあった鉛筆を戦わせるという謎の遊びを先生をちらちらみながらやってみた。

 

そこで人生で初めて「他人に怒られる」という体験をした。

 

しかし、あまりにびっくりしたため、トラウマとなり、

活発だけどやんちゃではない真面目な生徒であり続けた。

 

そして社会人となった今、

怒られ慣れてない自分にとても嫌気がさしている。

 

怒られても流せる人に憧れる。

細かい言動ですぐに傷つくのはどうやったら治るのかなあと思った時に、

ルールに従いすぎてきた自分は悪かったのかなとたまに思う。

 

 

星野源。

私は尊敬する人が何人かいる。

その人がいなかったら今の私がいないと言っても過言ではない程の人達。

 

嵐と

小林賢太郎

星野源だ。

 

圧倒的に星野源に関してはまだファンになって4年程で浅い。

 

が、彼の曲、声、本、仕事への姿勢、紡ぎ出すあらゆるものが大好きだ。

 

と改めてここに書いたのは最新の本、

「いのちの車窓から」をよみおわったから。

 

本当に素敵な人だと思った。

あれだけ自分を客観視し、

仕事を愛し、周りに感謝し、

適度にふざけ、生き生きしてる人はなかなかいないと思った。

 

テレビ、ライブなどでみる彼は

いつも心から楽しそうだ。

やらされてない。

自分のやりたいことをやっている。

 

後ろのバンドメンバーもそうだ。

ダンサーも、寺ちゃんを含むスタッフさんも。

 

皆少しでもいいものを作るために、

星野源を全面的に信じて心から楽しんでるように、

というか心から楽しんでいるに違いないのだ。

 

羨ましい。

ただただ羨ましい。

 

私は今、面白いものが作りたくて

いいものが作りたいが

上司やチームの考えで、機嫌取りで

つまらんものを作ろうとしている。

もはや作ってもない。

資料を淡々と集めるだけ。

 

気づいたら大学の研究と一緒だ。

資料を集めて読んで、

勉強してまとめて、

上司の好きなように調理できるように

食材を準備する。

 

ここにクリエイティブを見出せばいいじゃないかと思う人もいるだろう。

私も思う。

 

だが、上司は自分より下の人が、

決定権を選択権をもつ、

つまり頭を使って意思をもって

仕事することを嫌う。

 

ただただ言われたものを持ってくるという

宅配サービスでも雇えばいいのにと思う。

心から。

 

それからチーム内で、

いない人の悪口を常にいっている。

男性ばかりなのだが言われてない人を

殆どきいたことないのできっと私も言われてる。

 

別にいいものがつくりたいなんて一言も

きいたことがないし、

面倒くさいなどとこなれた風を醸し出せることを言いながら、

こなれた雰囲気を出す。

終わる仕事も、遅くまで仕事してるのが

かっこいいと思ってるのか知らんが

ダラダラとやってる。

 

ほかにも言いたいことは沢山あるが、

兎に角数ヶ月でこれだ。

もっとやれば学べる事も確かにあるとは思う。

しかしこの人達の下で学ぶしか選択肢はないのか。

 

私は元々音楽業界志望だ。

現に音楽業界志望だ。

 

そんな中でなかなか叶わず、

テレビ制作でも学ぶことはあるはず!と

思ったが、なんだこの時間は。

 

北朝鮮からいつミサイルが飛んでくるか、

いつテロがおこるかわからないこの時代で

こんな時間を無駄にしてよいのか。

 

そんな私には星野源がまぶしかった。

羨ましすぎて。

 

ただこの本には飾らない、

かっこつけてない、ありのままの人間味溢れる

温かみのある人間の言葉が詰まっていた。

 

彼の周りには素敵な人達が沢山いる。

類は友を呼ぶのかもしれない。

 

悲観的にならず、できるだけいい方向の窓をみて

常識にとらわれず自分のやりたいことを

やりたいと強く思った。

 

夢は諦めたらおわりだ。

大人。

大人。

 

 

子供の時は「大人たるもの」、

大人は知識があって、

常識もあって、

ある程度我慢もできて、

自分のお金でやりくりできて、

貸したものも勿論返すし、

いじめなんてしょうもないことしないと思ってた。

 

気づいたら22歳になり、

成人式もおわり就職して恐らく大人になったと思われるけど、

自分は何にも変わってない。

 

ただどんどん昔憧れてた「大人」が

子供である人だらけだということに気づいて、

くだらないことで仕事に支障をきたし、

くだらんいじめを職場でもして、

凄くないのに威張って、

変な我が儘いいだして人に迷惑かけて、

自分中心に世界がまわってて人のこと考えられなくて

なんだかいつも怒ってて。

 

完璧な人間なんていないなんて

そんなのわかってるんだけど、

あまりに信じられない大人が沢山いて。

 

そう感じるようになってから

尊敬してる人はもっと尊敬するようになって、

私もそんな人にならなきゃなと思う。

 

って思った話。

音楽の仕事。

はあああーーーー

たまにはこんな記事も。。

 

 

音楽の!!仕事が!!したい!!!!!!!!

ライブを作りたい!!!演出したい!!!!

 

いつもCDをきくと、

ライブでこうやったら絶対盛り上がる!と勝手に考えるし、この世で1番ライブ会場が好きだ。

 

たまに音楽が好きすぎて泣きそうになることは多々ある。

これを仕事にする。

仕事にするまでは死ねないと思う。

 

 

真面目な人。

真面目という言葉はいろんな意味を持つ。

 

ルールを守り、

一生懸命で誠実で、

何も悪いところはない。

 

ただ一方でたまに「真面目だねえ」と、

少し眉をひそめ冷ややかな表情で言う人がいる。

真面目な人は真面目故にその発言に苦しみ悩む。

 

というのもよく私も小さい時から、

「真面目なんだね!」

「真面目だよねえ〜」

「〇〇は真面目だからな〜」

となんだか楽しそうなことに、

仲間にいれてもらえないことも多々あった。

 

ただこの仲間の空気を壊してはいけないと、

穏便に、より空気感がよくなる方向に持っていくために文句をいうなんてことはしない。

 

そんなこと何回もあった。

 

大人になってもそうだ。

 

皆幼い頃からルールの中で生きてきているのに

いつからルールをあっさり守らないようになるのか私には理解ができない。

 

ルールを守らない人がいるから

ルールを守ってる人の負担が大きくなる。

 

よくつまらないという意味で真面目という言葉を使う人がいる。

 

が、使ってる人でもつまらない人は山程いる。

つまりは全然関係ない。

 

個人的には、不真面目に人に迷惑をかけていきている自分がかっこいい、いけてるという考え方の方がよっぽとダサいしセンスがないと思うが…

まあそれは置いといて。

 

真面目は真面目故に真面目じゃない人に

苦しめられることが多々ある。ほんとに。

 

だけど真面目って素晴らしいことだと信じてる。

すごい。だって真面目な人がいないと世の中なりたたないもの。

あなたはいつも頑張ってる。

人に迷惑をかけるからとあまり相談もしないかもしれないが、あなたのおかげで沢山の人が楽になってる。

あなたはいつも頑張ってる。

 

って思わないとやってけないよね、わかる。

 

真面目で何が悪い。

ゲスの極み乙女。

達磨林檎というアルバムを購入した。

 

私はCDは買う派閥です。

 

まあそんな話は置いといて…

 

色々あった彼だけど、

あんなので潰れない、絶対に潰れない才能が

川谷絵音にはある。

 

もはや怖い。

 

素晴らしくて悔しい、

驚きの、興奮の一枚でした。

 

コーラスもサウンドの広がり方、響き方、

テンポ、圧倒的な演奏技術、全てが完璧で。

 

なんだよ、この天才。。

 

つまらんことでいつまでも関係ないのに

ぐだぐだゆってる暇人はこんないい音楽の良さを味わえないなんて可哀想だ。

 

「本当に品がないな 君たちは」

感覚

最近、有名な作家さんのお話を伺う機会があった。

 

勝手ではあるが、

口下手でプライドが高くて寡黙で厳しいと

パブリックイメージとしてある気がする。

 

確かに会話力を仕事としてる人をテレビで

いつもみている我々は己の実力などみずに 

幻覚にとらわれ基準がおかしくなっているからか

口下手に感じた。

冷静に考えると話す力を仕事にしてないから当たり前である。

普通の人と同じレベルである。

 

ただ一言一言紡ぎ出す言語力がある。

 

そんな人だった。

 

そして口下手や臨機応変さへの欠如を自分の努力や準備で補ってきていてかなりぐっときた。

 

その人は日本トップレベルの作家さんであり、

我儘放題でも仕方ないというのに。

文学の才能と努力は十分なのに。

 

自分が1つでも欠如してる部分を

圧倒的な準備で補っている姿に

不器用ではあったがかなりぐっときた。

 

なんて素敵なんだろう。